1948年(昭和23年)に生まれたハービー・フレッチャーは、
9歳(1956)のとき、サーフィングを始めた。
彼はこのフレーズ
『The Thrill is back!』があまりにも有名だろう。
これを1970年代に掲げ、
今もそのスローガンでサーフィングをプッシュし続けている。
なぜその時代に彼がそう言ったかについては、
ショートボードブームが起因している。
ロングボードから始まったサーフィング。
そのボードが短くなり、
(じつはそれもハービーのデザインによるのだが)
当時のトッププロたちのほぼ全員が、
ショートボードに乗るようになって、
それにショックを受けたハービーが掲げたフレーズだったのですね。
私は、
ショートボードこそがスリルを呼び起こすものだと思うのだが、
彼は首を横に振る。
「ショートは滑り出しが遅いのだ、
ロングで恐ろしい波を滑った方がスリルがある」
と言い切る。
それをかみくだいてみると、
波乗りは大きなボードの方が速いのだぞ、と受け取れる。
じつはミッドレングスを乗るようになって、
そのココロが私にもよくわかる。
本日のミドルスはセットでオーバーヘッド+程度だったのだが、
ビハインドピークからセクションに向かって、
重いボードで高速疾走するシングルフィンに飛び乗るのは、
それはそれはのスリル満載でした。
今でもゾッとするほど速かったのです。
不思議なことです。
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ハービー・フレッチャーは、
ご存じサーフィング界では重要なキャラクターを担っている。
クリスチャンとネイザンの実父。
マカハの初代ビッグウエイブチャンピオンであるウォルター・ホフマンを義父に持ち、
グレイソン・フレッチャーは彼の孫。
カリフォルニア州ハンティントンビーチで、
サーフィングを練習した16歳の少年ハービー、
彼は当時のスポンサーのためのサーフフィルムを製作助手をし、
その得た報酬でハワイまでの航空券を買い、
生まれて初めてパイプラインでサーフしたのが17歳。
ちょうど私が生まれた年の1965年。
すごいのがこの時代のサーフボード。
最新鋭ボードはフィルエドワーズ・モデルの9’6″、
リバース・パインフィン、
その重量およそ16kgという代物だった。
これをバックサイドで、
しかも初パイプをこの波壁を滑ったという。
そのなんと貴重なフィルムがRVCAで公開された。
(Yoheyさん、ありがとう)
ハービーの話そのままにここに焼き付けられていて、
それは今見ても時代が感じられないほどでありました。
パイプラインのすばらしきマニューバー。
もちろんノーリーシュで、
もちろんワックスもロウソク時代なのでツルツルの低粘着だったはずだ。
ハービーの言う『スリル』というスケールはとてつもなくデカイ。
しかし、私も私でそのスリルのサイズは彼よりも小さいながらあり、
みなさんもそれぞれあるだろう。
だから波乗りは楽しいのだと、
再確認させられたこの動画をぜひご覧になってください。
ナレーションでは、
「天才少年ハワイに現る」
そう紹介されています。
Herbie Fletcher | The Thrill is Back from RVCA on Vimeo.
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これが動画内でも言っていたロッカー(反り)を付けるために、
大工用カンナの後部を改造した1970年当時のプレーナー。
ハービーはこれでミニガンや、初のダウンレイル(ノーズからテイルまで)、
ありとあらゆる創造のショートボード、
ミッドレングスからログまでをこれでシェイプしていた。
ロックンロールの伝説と似ている。
(これはミック・ジャガー)
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少し投稿を途絶えていたコラムページを復活しました。
ハービー・フレッチャーのもう少し詳しい内容がこのページにあります。
原稿用紙でおよそ30枚ありますが、
サーフィングの歴史がお好きな方にお贈りします。
ハービーから見たサーフボードの変革史です。
その当事者から聞いた重要なエピソードなので、
ぜひご覧になってください。
【naki’sコラム】vol.62 The Thrill is Back. Life is Surfing._ハービー・フレッチャー2012_(12008文字)
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じつは今、
タイラー・ウオーレンとセージくんと一緒にいるのですが、
こちらもかなり楽しいです。
この詳しくは、明日ここに書きますね。
こちらの波もまたすばらしかったです。
今日もNAKISURFにお越しくださって、ありがとうございました。
Surfing all day!
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