Cole 5’7″ Old Model North Hawaii
「コンテストサーフィングの反極」
そんなことをタイラー・ウオーレンのDVD
『WET DREAMS』の紹介コラムに書いた。
https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/60231
それで、
逆に何がコンテストサーフィングなのかと考えてみた。
まず前置きしなくてはならないのは、
「コンテストは究極のサーフィング表現」だと思う。
ケリー・スレーターのようにコンテスト人生を送っているサーファーたちがいる。
サーフィングというビジネスを確立させ、
ブランドやメーカーに常に表現や展開を伝えている。
おかげであのすばらしいウエイブプールを開発できたのでしょうし。
コンテストで一番の長所は、勝者を輩出するということ。
逆に短所は、そのひとりだけが勝者で、
他全員は敗者となってしまう。
2位は、
決勝で戦って敗れているわけだから敗者と考える。
こう考えると、
2位も10000000位も同じ敗者なのである。
さて、そんな結果論よりも大事なのが、
コンテストで求められる波乗りの違いだ。
世界最高峰のコンテストサーフィングのオーガナイザーであるWSL(世界プロサーフィン連盟:元ASP)。
得点を判断するクライテリア(審査基準)をざっと読んでみると、
それらの要求にクラっときた。
まずは『波へのアプローチの難易度の高さ』
(Commitment and Degree of Difficulty)
とあって、
これはこう書くと簡単だけど、
例えばバレルになっている際、
“超パワーがある箇所を狙って、
ボードをトップヒットさせよ”、
またはリエントリーも泡の際ではなく、
“強いリップのコーナーに当てよ”
ということが求められる。
次に、
『マニューバーの革新性、 創造力及び斬新度』
(Innovative and Progressive Manoeuvres)
これはわかります。
なんでも革新ありきなので、いい基準だと思いました。
『メインターンのコンビネーションの豊富さ』
(Combination of Major Manoeuvres)
コンビネーションとは、
ボトムターンートップターンーそして次のターンとなる連続ターンのことで、
口語の際には”コンボ”と省略されています。
これが豊富というか、
全てのターンがコンボとなっていたのがトム・カレン。
それを受け継いだケリー・スレーターが後に続いています。
こう書くと簡単だけど、危機に次ぐ危機、
そしてまた危険を顧みずに攻めて、
決してグラリともしないという究極滑走が要求されている。
そして、
『マニューバーのバラエティーの豊かさ』
(Variety of Manoeuvres)
というように、バラエティも要求されています。
例えば、ボトムターンから垂直に波に駆け上がって、
12オ・クロック(時計針12時、つまり垂直)
でヒットさせることを連続10回メイクしたとしても、
「バラエティがないので高得点はつきません」
と前置きされている。
『スピード、パワー、そして流れの美しさ』
(Speed, Power and Flow)
これはいい基準です。
これはオルタナティヴやソウルサーフでの基準というか、
原始サーフィングから引き継いだことであるのでしょう。
これが一番重要で、
元々の審査基準はこのことだったのだろうが、
ただ、現在は一番最後にひっそりと書かれている。
これを外すのは先人へのリスペクトがなくなる気がして、
除外できないのでしょうね。
さてさてさて(3つも!)、
この基準を持って、タイラー・ウオーレン、ジェイミー・オブライエン、
ドノヴァン・フランケンレイターがWCTのコンテストに出るとどうなるのか?
結果はわかっています。
バレルオンリーのバックドアやパイプラインとかならともかく、
(ジェイミー・オブライエンは直近のパイプ・プロで2位)
マニューバーの波となるローワーズ・プロに出ても
高得点が付かずに瞬時に敗退してしまうのです。
決して波乗りが劣っているわけではなく、
それが審査基準に沿わない波乗りだからなのです。
彼らはーー私もそうだがーー速度があって流れるようなマニューバーを好む。
それはまるで空を滑空しているかのように。
各人がそれぞれのスタイルを主張させ、
自分が夢見るように乗ることの難しさ、愉しさはみなさんもご存じでしょう。
コンテストで勝ち上がるためには、この滑空ターンではなく、
上記したような基準に変えなくてはならない。
速度が付いた時点で、劇的なマニューバーを刻んで、
そして際どいところで豊富なターンをし続けなくてはならない。
それは毎日オリンピック選手のように
体と精神を鍛えている競技サーファーにはいいのだろうが、
足も走り込んで鍛えなくてはならないし、
ボードも薄く小さく変えて、ターン半径を小さくしなくてはならない。
そうすると、
あの波もこの波も(サンオノフレや千葉北、湘南の小波ということですね)
浮力がないボードで乗ることがストレスとなる。
今度はコンテストサーフィングのマニューバーを動画等で見てしまった
週1〜2回だけ波に乗るサーファーが、
そのコンテストサーフィングに倣(なら)ってあのターンの位置を真似すると、
3秒後にはワイプアウトしてしまうだろう。
はっきり言うと、
「とっても、もったいない」
せっかくの休みに海に行って、
それまでずっと動画を見て、そして雑誌のHow Toを読んで勉強したのに。
質問コーナーでも確かめたのに。
そうすると、次は「自分が悪い。己はダメだ」と責めてしまう。
あまり自分だけを責めるのもあれだから、
潮がしみて前が良く見えなかったから、
いやーウエットの肩がきついから、
ん、ボードのロッカーがありすぎる、浮力が、アウトラインだ、
テイル、いやフィンがと今度は道具のせいとなる。
そして波の位置もあそこに人がいたから、
潮が悪かったからとなって、波乗り自体が楽しめないようになってしまう。
なので、この人たちにとっては、
海に行くのは修行であり、
いつかはコンテストサーフィングのようにできるのだ、
いややってみるぞ!と意気込んで、
真剣に無駄口はおろか笑顔さえ見せずに口を一文字に結んで、
次に来る波をイメージし、集中し、
その最初のターンに全てをかけて波を待っているのだろう。
これは私もそうだったのだが、
こうなってしまったのは、
コンテスト話題を主軸に据えたメディアの功罪であろうと思う。
私の20代の頃は、
毎日サーフして、バイトをしながら各地のコンテストを転戦していた。
手先が不器用で、物作りが苦手な私にとっては、
それだけが「波乗りを職にする方法」だったので、
その石にガーリガリとかじりついていた。
勝てばスポンサーが付く、ボーナスがもらえる。
乗るサーフボードやウエットはメーカーから貸してもらえるし、
ある程度勝ってさえいれば、
メインスポンサーがコンテストへのエントリー費、
交通費、そして食事代まで出してくれるようになっていく。
でもこれは何度も書いているが、「勝てば」という前提付きである。
冒頭に書いたが、勝つ人がひとりあれば、あふれるほど負ける人がいる。
しかもケリー・スレーターのように勝ち続けなくてはならない、
しかも「ここからあそこまで走って何秒」というのならわかるが、
波質によって刻々と変わるジャッジ基準によって、
その得点を求めるサーフィングをしなくてはならないのは、
サーファーにとってハッピーなのだろうか?
もしジャッジが、
「怒りながら乗った人に高得点」
「全員で一緒に乗って、相手を倒した方が勝者」
としたらレスラーやボクサーのようにサーフするのであろうか?
まあ、これは飛躍しすぎだろうが、
この項で言いたいのは、
そんなコンテストの基準でサーフしているサーファーたちが、
サーフブレイク(グッドサーファーはサーフポイン◎とは恥ずかしくて言えない)にあふれている。
「自分は高得点を出せるサーフィングをしているから波に多く乗っていいのだ」
そう信じている人は世界中のブレイクにあふれ始めて、
そうは思っていない人もたくさんいるが、
しかもルールマナーには書かれていないが、
海はみんなのものだけど、巷では昔からそうなっているようだから仕方がない、
こんな図式になっているのでしょうか。
確かにすばらしい波のブレイクでは、
高速で滑走してくるサーファーがいるので、
それを邪魔してしまうと危険なことになると思う。
今話しているのは、普段の波の日のブレイク環境であります。
その概念を書いてしまうと、これから3万字は書かねばならないので、
先送りにしますが、
みんな一度コンテストサーフィングから離れるべきではないか、
それを主流にしなくても良いのではないか?
そんな提案をしてみたかった。
朝陽を受けて、波の中にパドルして入っていき、
完璧な角度でサーフボードを傾けて、
それぞれの足を的確に沈めていく。
意識は浮き上がり、飛翔し、風を切る音が聞こえてきて、
海を感じ、さらには宇宙を感じる。
それが私の考える究極なるサーフィングです。
コンテストに出ているサーファーたちなら全員そんなことは知っている。
だけど、それだと勝者が出ないし、稼げない。
波乗りとは、
みなさんが思い描いていた「波に乗る」ということの究極であると思います。
それは決して、波の中で何回ターンしたか、
その難易度はどうだったのかを追いかけるものではないと思うのです。
波が小さければ、大きめなボードを使って、
泡にまっすぐ乗っていくのもいいと思います。
「そういうことをすると怒られるから」
と言ってできないブレイクだらけになってしまっているのは、
コンテストサーフィングを追い求めた結果でしょう。
たしかに競技は進化や革新をもたらせます。
だからと言って競技人だけではないこともサーファーの主流とするべきでしょうか。
2016年はこんな豊かな気持ちで、
波に乗る人が勝者となるサーファー元年にしたいです。
上手に波に乗れたらそれは自分にとっての10点満点で、
それをコンテストの定規で測らないようにしよう、
というものです。
それではまた明日ここで!
■